今日は「本」についてのお話です。

僕は自分の事を結構多趣味な人間だと思っているんですけど、その中でも一番長く続いている趣味が読書です。

幼い時から母が読み聞かせをしていてくれたらしく、もうその記憶はないのですが、自分でも本を読むようになりました。

小学校に上がる前には保育園に通っており、親の迎えが来るまでの時間を本を読んで待っていたような気がします。

小学生の時にはその流れがさらに加速。少し自由な校風?だったのか、各児童の習熟度に合わせたプリントの問題を解くという授業が何コマか設けられていました。

問題は主に国語と算数だったんですが、僕はそのプリントを解きつくしてしまい、「図書室に行って好きな本を読んでいていいよ」と事実上の卒業宣言をしてもらったこともあり、結構本を読む時間が確保されていました。

外で友達と遊ぶより、図書室で借りた本を家で読むのが好きだったため、家でも本を読むことに時間を使っていました。中学高校…現在に至るまで本は身近にありますし、毎日何かしらの文章は読んでいます。

ですが、最近読書体力が落ちてきたのか、読んだことのない本を読むのがおっくうに感じるようになってきました。

本を読むことではなく買うことが趣味になり始めた。体力を取り戻さないと

つまり「本を読むこと」ではなく「本を買うこと」が趣味になり始めたんです。

子どものときに遊戯王のカードを集めていたりと収集癖はありますが、最近その流れが一気に加速。

この前購入した吉増剛造の詩集にも手を付けずにいます。

これにはいくつか理由があります。

  • ①:視力が落ちてきたこと
  • ②:読む本が難しくなってきたこと
  • ③:読むことが勉強になってしまうこと
  • ④:使えるお金が増え、買う本も増えた

このうち①はしかたがないというか、どうしようもありません。毎日のように本を読み、スマホとパソコンを使っていれば視力が落ちるのはしょうがないなと思います。

②は様々。しかし使えるお金が子どもの時よりは増えたため、高い本を買えるようになりました。

ですが高い本って難しいんですよね。お金がなければ「文庫の小説を買って読む」というがスタンダードですが、お金があると「じゃあ哲学の専門書買ってみようかな」とか「ノーベル賞作家の小説買ってみようかな」とか、いろいろ手を出します。そして専門性が高い本というのはなかなか難しいです。

③は自分が小説を書いているせいですね。素直に小説を楽しめず「何事も勉強だ」と構えちゃうんですよね。これは読書的にも小説を書くうえでも絶対良くないですよね…

本を読む体力や、きっと好奇心が無くなってくると、以前読んだことがある本を読み返すということをずっとやってしまいます。

おもしろいと分かっている本を手にとってしまうんですよね。これまでに1万冊以上の本を読んできましたし、たぶん読んだことのある本を読み返すだけで、それなりに楽しい人生を送れると思います。

でもそれじゃあ自分の世界に閉じこもっているだけですし、認識とか、考えとか、視野の広さっていうのものが広がっていかないんだろうなと思います。

なんとか読む体力を取り戻して、家の中に大量に積んである本を手に取りたいなと思っています。特に相性の良いラテンアメリカ文学は「読みつくす」くらいまで行きたいです。

おわり。