村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読んで心に残った文章

僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」(p9、第一章)

 

 

「ねぇ、あれを見て」と彼女はそっと囁くような声で言った。それからひと息置いて続けた。「あのピンク色の雲をひとつとって、そこにあなたを封じ込めて、あっちにやったりこっちにやったりできるといいのに」(p174、第五章)

 

 

ギャツビーは過去について能弁に語った。この男は何かを回復したがっているのだと、僕にもだんだんわかってきた。おそらくそれは彼という人間の理念(イデア)のようなものだ。デイジーと恋に落ちることで、その理念は失われてしまった。彼の人生はその後混乱をきたし、秩序をなくしてしまった。しかしもう一度しかるべき出発点に戻って、すべてを注意深くやり直せば、きっと見いだせるはずだ。それがいかなるものであったかを……(p202-203、第六章)

 

 

三十歳ーそれが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。熱情を詰めた書類鞄は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。でも僕の隣にはジョーダンがいる。この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。車が暗い橋を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。
 そうやって僕らは涼しさを増す黄昏の中を、死に向けて一路車を走らせたのだ。(p247-248、第七章)

 

 

そして死ぬまで「ヘミングウェイこそが現代文学の巨星で、自分はそれに比べればテクニックを心得た文学的娼婦みたいなものに過ぎない」と考えていた。(p349、訳者あとがき)

 

そしてもちろん本編の最終章である第九章のラスト、325ページから326ページの部分が特に優れている。172ページで印象的な描写に用いられた灯火が、ラストシーンでこの小説の命題を伴いながら再登場するのはいかにも上手い。しかしそれはテクニックの一言で片付けられるものだろうか?本編全体を通して表現してきたからこそ、それはただの舞台装置の枠を飛び越え、ラストシーンの名文と相まって、この小説を引き締めることに貢献さえしている。

 

ヘミングウェイと自分を比較し、自分を下に見ているこのフィッツジェラルドの考えを知った時に、「自分は小説家として生きてはいけないだろう」とカフカが考えていたことを思い出した。(2015.10.06)

コメント

タイトルとURLをコピーしました