不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。読めばわかる。文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙だった。しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人であった。(p9)
・「気分が良くて何が悪い?」(ハートフィールド、1936)、p10
・「感情教育」(フローベル)、p22
・『熱いトタン屋根の猫』(テネシー・ウィリアムズ)
「つまりね、一人で酒を飲む度にあの話を思い出すんだ。今に頭の中でカチンと音がして楽になれるんじゃないかってさ。でも現実にはそううまくはいかない。…」(p35-36)
・ヘンリー・ジェイムズ、p67
・モリエール、p72
・「魔女」(ミシュレ)
「ロレーヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この『恐怖政治』について勝ち誇っている。彼は言う、『わたしの正義はあまりにあまねきため、先日捕えられた十六名はひとが手をくだすのを待たず、まずみずからくびれてしまったほどである。』」(篠田浩一郎・訳)、p84-85
・「ふたたび十字架にかけられたキリスト」(ニコス・カザンザキス)、p105
・(「マタイの福音書」第五章十三節)
「汝らは地の塩なり。」
「?」
「塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。」
鼠はそう言った。(p119ー120)*3
・「虹のまわりを一周半」(ハートフィールド、1937)、p122
・『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン)、p123
ハートフィールドが「ジャン・クリストフ」をひどく気に入っていた理由は、ただ単にそれが一人の人間の誕生から死までを実に丹念に順序どおり描いてあるという点と、しかもそれが恐しく長い小説であるという点にあった。(p123)
トルストイの「戦争と平和」については彼は常々批判的であった。もちろん量について問題はないが、と彼は述べている。そこには宇宙の観念が欠如しており、そのために作品は実にちぐはぐな印象を私に与える、と。(p123-124)
・「フランダースの犬」(ウィーダ)
「ねぇ、君。絵のために犬が死ぬなんて信じられるかい?」と彼は言った。(p124)
・「火星の井戸」(ハートフィールド)、p124
・レイ・ブラドベリ(p125)*4
・「カラマーゾフの兄弟」(p154)
・「冒険児ウォルド」(ハートフィールド)、p156-157
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