『リンさんの小さな子』フィリップ・クローデルの感想

小説

『リンさんの小さな子』 フィリップ・クローデル著/みすず書房

・内容

戦禍の故国を遠く離れて、異国の港町に難民としてたどり着いた老人リンさんは、鞄一つをもち、生後まもない赤ん坊を抱いていた。まったく言葉の通じないこの町の公園で、リンさんが知り合ったのは、妻を亡くしたばかりの中年の大男バルクだった。ところが…。現代世界のいたるところで起きているに違いない悲劇をバックにして、言語を越えたコミュニケーションと、友情と共感のドラマは、胸を締め付けるラストまで、一切の無駄を削ぎ落とした筆致で進んでゆく。ベストワン小説『灰色の魂』の作者が、多くの読者の期待にこたえて放つ傑作中篇。フランスと同時に刊行される最新作。

戦争で家族を失い故国を追われた老人は生まれてまもない赤ん坊を抱いて難民となった…『灰色の魂』の作者がおくる言語の壁を越えた、友情と共感のドラマ。

・感想

この本を読み終わったとき、あることを思いました。小説とは元来、人を描くものでなかったかと。そしてその上に人と人の繋がりを描くものでなかったかと。

私は、自分の関わり合いのない場所は、違和感を覚える匂いに満ちているものだと思っていました。それは他人の家に上がったときに匂っている、独特の生活感とでも申しましょうか、嗅いだことのない匂いです。それは、その人と親しい親しくないを別にして不快感を覚えるものだと思います。そして、自分との繋がりが濃い場所は匂いがしないものだと思っていました。自分の家、会社、学校での自分の席、何より自分。でもこの小説を読んだ後は、匂いがしないのではなく、嗅ぎなれているから、匂いがしないのだと思いました。

五感の中でこれほど匂い、嗅覚というものを描いたものも少ないのではないかと思いました。視覚はもちろん、触覚は小説にあるべきものでしょう。音楽が出てくれば、聴覚は必要不可欠なもの。そして、料理が出てくる小説も多い。しかし嗅覚は少ないように思います。それにより、いかにリンさんにとって故郷の存在が多いかが知れます。

さて、戦争によって、孫を除いて家族を失い故郷を追われたリンさんは、難民となりとある町に連れてこられます。そこで別の住処を探してもらっているしばらくの間、滞在することになります。そこで、一人の男性と出会います。二人の言葉は通じません。その後にリンさんは「こんにちは」という意味の言葉だけは教えてもらうのですが、それだけです。最初こそ、彼を子どもをさらう人ではないかと不安がりますが、そんなことはないことがわかり、そして彼と親しくなっていきます。

また、私は旅など一過性の場合を除いて、言葉(会話)というコミニュケーションなしに、親しさというものはうまれないと思っていました。それは、私が高校の修学旅行でオーストラリアに行った際に痛感したことでした。特に厳しかったのは、現地の高校との交流でした。レストランでの注文ですら、苦戦の様相でしたので当然のことかと思います。もちろん高校は英語を週に何時間も勉強するところです。それなのに、相手が何を言っているのかが一回では分からない。私の発音が悪いのか、こっちの言いたいことも通じてはいないようでありました。そのとき一緒に行った連中のほとんどは大差のないようでしたが、中には英語の得意な連中、帰国子女なども何人かはいまして、その人達と現地の高校生の間にある親しさは私たちのそれは異なっているように思いました。

そんな私の体験よりも、リンさんの状況は言うまでもなく過酷です、故郷は戦争で失い、見知らぬ土地に来た、言葉は「こんにちは」しか知らない。私は世代論や集団論とでも申しましょうか、そのようなものは意味のないものだと思っているのですが、この場合は二人とも家族(妻)を失っていて、互いの立場に通ずるものがあったからこそ、友情がうまれたのではないか。しかし、それだけではうまれても発展はしません。ではなんで発展したのか。

リンさんとバルクさん(男性)はある意味で対照的でもあります。リンさんは破壊されゆく村と運命を共にしようかとも考えますが、残された赤ん坊のためにもと、生き残ります。言うなれば、(不可能、可能は別として)過去と決別した人間なのです。バルクさんは、妻を亡くし、その哀しみの中にいまだいるように思います。妻が働いていた公園に足を運び、絶え間なく煙草を吸い続ける。過去と決別していない人間なのです。

けれど、二人はこの場にいたいと望んでいる。それは進んでいくことへの怖さもあらわしているのか。だから二人は通じ合った。これには、言葉はなくともこれほどに親しくなれる、言葉があればもっと親しくなれるんじゃないか?そんな筆者の意志があるのではないかとも思えるのです。

きっと居場所とは求めるものではなくて、誰かに必要とされる場所、それが居場所なんでしょう。

・形式

小説、中篇

・あらすじ

戦禍の故国を遠く離れて、異国の港町に難民としてたどり着いた老人リンさんは、鞄一つをもち、生後まもない赤ん坊を抱いていた。まったく言葉の通じないこの町の公園で、リンさんが知り合ったのは、妻を亡くしたばかりの中年の大男バルクだった。ところが…。現代世界のいたるところで起きているに違いない悲劇をバックにして、言語を越えたコミュニケーションと、友情と共感のドラマは、胸を締め付けるラストまで、一切の無駄を削ぎ落とした筆致で進んでゆく。ベストワン小説『灰色の魂』の作者が、多くの読者の期待にこたえて放つ傑作中篇。フランスと同時に刊行される最新作。

・収録話数

・初出

・刊行情報

リンさんの小さな子(みすず書房)

2005年9月17日

・翻訳者

高橋啓

・読了日

・読了媒体

リンさんの小さな子(みすず書房)