『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』西尾維新の感想

小説

『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』 西尾維新著/講談社ノベルス

・内容

鴉の濡れ羽島で起こった密室殺人事件から二週間。京都、私立鹿鳴館大学。「ぼく」こと“戯言遣い・いーちゃん”が級友・葵井巫女子とその仲間たちと送る日常は、古都を震撼させる連続殺人鬼“人間失格・零崎人識”との出会いによって揺らめき脆く崩れ去っていく―。そして待ち受ける急転直下の衝撃。一つの世界が壊れる“そのとき”を描ききった新青春エンタの傑作。

・感想

ざれごと 【▽戯れ言】

〔補説〕 「ざれこと」とも
ふざけて口にする言葉。たわむれの言葉。冗談。

大辞林

著者が戯れ言の意味を間違えていないのならば、主人公であるいっくん(いーちゃん)が考え、ときに呟いているのはすべて冗談なのだろうかと考えると、著者が仕掛けた沢山の行動や登場人物が話した言葉の中でそれが一番残酷なことではないかと思える。そんなことは私が著者にいちゃもんをつけるようなものだから、あまり気にせず文中の意味は、考えても仕方がないこと=詮無きことと理解するのが適切であろう。

『クビキリサイクル』での舞台鴉の濡れ羽島ー絶海の孤島や天才達が集められた前作とは異なり、本作は京都市内が舞台であり、登場人物達も天才達というわけではない、一介のクラスメートや、アパートの隣人が主体である。というわけで警察も通常の業務を行っている平生である。

例えば、「死んでもかまわない」と言う人間がいたとする。その人物の過去について知っていたとしても知らないとしても、それを聞いた人間は「そんなはずはない」と思うだろう。それは言った本人にとっても同様のことだと私は思う。前作の題で喩えるならば、首を絞められれば抵抗するだろうし、そうでなくとも泣き出すかも知れない。それは何よりも「生きたい」という意志を雄弁に物語っている。

そんな、殺されても良く、死体を見ることを何とも思わない男、いっくんと、連続殺人鬼
零崎人識、そんな二人が出会ったとき二人の間に一風変わったといっても、友人と言って差し支えない関係が構築されたことはどんな皮肉だろう?欠陥品と人間失格を認め合うお互いがお互いを尊重しているというのもどういうことなのだろうか?

彼らにとっては、死ぬこととか、生きる意味とか、人を殺して良いのかとかいうことは、88オセロは一体どうなのかとか、この場に一億円あったら何に使うのかといったことと同じ程度しか重要でないのかも知れない。筆者はその二人に反発してもらいたいのかは私にはわからない。

ただ、いっくんの話し方が(ときに他の登場人物も)演説のように思えてしまうのは何ともいただけない、もし著者が登場人物に演説させないで、でも自分の言いたいことが言えたら、私は西尾維新の本を買い続けるかも知れないと思った。

・形式

小説、長篇

・あらすじ

人を愛することは容易いが、人を愛し続けることは難しい。人を殺すことは容易くとも、人を殺し続けることが難しいように。生来の性質としか言えないだろう、どのような状況であれ真実から目を逸らすことができず、ついに欺瞞なる概念を知ることなくこの歳まで生きてきてしまった誠実な正直者、つまりこのぼくは、5月、零崎人識という名前の殺人鬼と遭遇することになった。それは唐突な出会いであり、また必然的な出会いでもあった。そいつは刃物のような意志であり、刃物のような力学であり、そして刃物のような戯言だった。その一方で、ぼくは大学のクラスメイトとちょっとした交流をすることになるのだが、まあそれについてはなんというのだろう、どこから話していいものかわからない。ほら、やっぱり、人として嘘をつくわけにはいかないし――戯言シリーズ第2弾

・収録話数

第一章 斑裂きの鏡(紫の鏡)

第二章 遊夜の宴(友夜の縁)

第三章 察人期(殺人鬼)

第四章 赤い暴力(破戒応力)

第五章 酷薄(黒白)

第六章 異常終了(以上、終了)

第七章 死に沈む(シニシズム)

第八章 審理(心裡)

終章 終われない世界

・初出

・刊行情報

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識(講談社ノベルス)

2002年5月8日

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識(講談社文庫)

2008年6月13日

・読了日

2008年8月3日

・読了媒体

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識(講談社ノベルス)

第八刷