・形式


小説、長篇、父探し


 



・あらすじ


詠爾は島を出た。東京の混沌に、まだ見ぬ父を探すため。新宿の高層ビル群に惑い、たぐり寄せては切れる細い糸に絶望し、ふとした出会いに心ときめかせる―。饒舌にして錯綜した彼の語りの果てに明かされるのは双子の姉の死、心を病む母の存在。果たして詠爾は、父と巡りあえるのか?イギリス若手作家ベスト20選出、ブッカー賞連続最終候補の気鋭が放つ、疾走と裏切り、思慕と夢幻の物語。哀切なるこの世界に捧げる鎮魂の歌。


 



・収録話数


第一章 パン・オプティコン


第二章 遺失物保管所


第三章 テレビ・ゲーム


第四章 埋立地


第五章 物語研究


第六章 回天


第七章 トランプ


第八章 山の言葉は雨


第九章 9


 


 


・初出


 



・刊行情報


ナンバー9ドリーム(新潮クレスト・ブックス)


2007年2月25日


 


 


・翻訳者


高吉一郎


 



・受賞歴、ランキング


2001年ブッカー賞最終候補


 



・読了日


2018年6月20日


 



・読了媒体


ナンバー9ドリーム(新潮クレスト・ブックス)


初版


 



・感想メモ


本は分厚く、文体は情報量が多いが、短いセンテンスの連続する文章はリズムが良く読みやすい。様々な文章が、本筋を区分するかのように挿入されるが一行分改行されていて場面転換が行われていることを知らせてくれるのは非常にありがたい。以前読んだ『緑の家』ではそれがなされておらず、どの場面を誰の視点で読んでいるのか判別するのに苦戦した苦い記憶がある。


 


 


ところどころで「過去」「空想」「手記」「別の物語」など様々な文章が挿入される手法は、影響を受けたらしい村上春樹の小説のようだ。主人公の詠爾は仲良くなった女の子と電話をしているし、作中では手紙にも役割が与えられている。((「『ノルウェイの森』はある意味で手紙と電話の物語だ。」加藤典洋『村上春樹イエローページ』))タイトルの『ナンバー9ドリーム』はジョン・レノンの楽曲「#9 Dream」から取られているが、村上春樹がビートルズの「Norwegian Wood」を元に『ノルウェイの森』とタイトルを付けたこととの関連も無視できないだろう。


 


 



「真実のところはね、『ナンバー9ドリーム』は『ノルウェーの森』((「Norwegian Wood」の邦訳をどうするかはかなり微妙な問題ではあるが、村上春樹の小説が出て以来、『ノルウェイの森』というタイトルと区別する意味も含めて、「Norwegian Wood」を「ノルウェーの森」とする研究者、論考をよく見かける。ただしもちろん統一されているわけではない。))の息子なんだよ。どちらも幽霊のお話なんだ。『ノルウェーの森』に出てくる『彼女』は聞く者に孤独の呪いをかけるんだ。『ナンバー9ドリーム』に出てくる『あんなにへんてこな踊りをしている二頭の妖精』っていうのは聴く者に調和の祝福を授けるんだ。けど、みんな、調和ではなく孤独を選ぶんだよ。エレベーターでよく『ノルウェーの森』がかかっているのはこういうわけ」(p521)



 


 


「けど、みんな、調和ではなく孤独を選ぶんだよ。」とは「けど、みんな、『ナンバー9ドリーム』ではなく『ノルウェーの森』を選ぶんだよ。」とも言い換えできるが、これはどういう意味だろうか?村上春樹の影響を受けたと語る著者がリスペクトするあまり、謙遜して出てきた文章だろうか?単純に楽曲の好みの問題ではないだろうし。


 


 


もう一点気になるのは「どちらも幽霊のお話なんだ。」という一文だ。居住歴があるとはいえ、英国人作家がわざわざ日本、東京を舞台にした小説を書いたのである。東京は無国籍ポストモダン消費都市TOKYOではあるが英国人作家が書いたとは思えないほど違和感なく読める。その舞台設定とタイトル、手法からしてもやはり村上春樹へのリスペクトは疑いようがない。そのため僕は「『ナンバー9ドリーム』と『ノルウェーの森』」をそのまま小説に置き換えるようにして読んだ。そうすると今度は両作品における「幽霊」とはなんだろうか?という疑問が出てくる。これはデイヴィッド・ミッチェルが修士号を取得した比較文学の問題だ。


 


 


『ノルウェイの森』で幽霊と言えば直子ということになるのだろうが、村上春樹作品でいえば『国境の南、太陽の西』の島本さんがより幽霊的であり、そちらにばかり意識がいっていたためあまり考えたことがなかった。直子に関しては時期に関して多数の論考もあり、ワタナベの二度の旅行についての論考もあるが、これを「幽霊」と通称するだろうかという疑問もある。これに関して参考になりそうなのは第二章で出てくる写真をなくしたという老婆だろうか。


 


 



「ここは彼女の日課に組み込まれているんですよ。丁寧に応対しているに越したことないですから。あの人の『写真』、何のことだか見当ついた?」


「家族アルバムかなにかですかね?」


「あたしも最初は文字通りとってしまったんですね」と佐々木さんはいつものようにおっとり、慎重にしゃべる。


「でも、たぶん、自分の記憶のことを言っているんじゃないかと思うんですよ」。俺たち二人は彼女の後ろ姿が灼熱の中に消えていくのを見つめる。蟬が鳴いたり鳴きやんだりしている。(p91)



 


 


この箇所と同じように言い換えることができるだろうか?「デイヴィッド・ミッチェルの『幽霊』、『ドリーム(夢)』、何のことだか見当ついた?」などと。読者はやはり「最初は文字通りとってしま」うだろう。本文によればそれは「でも、たぶん、自分の記憶のことを言っているんじゃないかと思う」ということになる。とすれば第八章のラストで起きたこと、そして導かれた第九章は必然的だとも言える。本作が記憶の物語だとすれば、第八章のラストから続く第九章は他の姿では存在しえないからだ。


 


 


分厚さに怯みながら読み始めたが思いのほかスラスラと読めた。場面転換に慣れさえすればリズムの良い翻訳を楽しむことができる。本筋の父親探しの終わり方が肩透かし的だと感じたが、本筋であってテーマでないのだと考えればそんなものかもしれない。残りページが少なくなるにつれ詠爾との別れが寂しくなってきたあたり、僕はこの小説を思いのほか気に入ったのだろう。もう少し詠爾の物語を、特に仲良くなった女の子とのストーリーを読んでみたいと思ったが、本作が記憶の物語であり、第八章のラストから第九章に至る流れからすると不可能かもしれない。


 


 



『家なき子』的プロットを主軸とし、そこに聖杯探求譚、教養小説、悪漢小説、エディプス神話などといった西欧文学の根底を支えるおなじみの原型的テーマが絡み付けられている。(p556)



 


 


なんのかんの書いてきたが結局第九章の解釈は、あるいは全貌は、読者に委ねられているのだろう。それならば第九章を恋愛小説として頭の中で続けて行くことは僕の勝手だ。『ノルウェイの森』もそのように終わったのだから。あと福本伸行の「零」をちょうど読み返したせいで第九章の「9」をナインと読んで(ネタバレのため以下略)とか思ってしまった。なんのことだか分からなくていいです。(2018.06.20)


 


 


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