本の情報ブログ 火の秋のモノガタリ

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にごりえ /樋口一葉

・形式

小説、短篇

 


・あらすじ 

落ちぶれた愛人の源七とも自由に逢えず、自暴自棄の日を送る銘酒屋のお力を通して、社会の底辺で悶える女を描いた。

 


・収録話数

全八章

 


・初出

文芸倶楽部、1895年9月

 


・刊行情報

 

 
・読了日

 


・読了媒体

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 


・感想メモ

会話文に「」がついていなかったり、いきなり人が出てきて誰?ってなったり、文語体だから読み飛ばしてしまったかと振り返ることが何回も。

 


個人的には終わり方に驚きました。明治という時代は知りませんが、終わり方は日本人らしいのかも知れないと思いました。ただお力がどう感じていたのか。

 


解説によると、一葉自身とても貧しく大変な暮らしを送っていたということで、そのせいか厭世的な思いがあったのかと思いました。全体的にに悲しい雰囲気が漂っている作品だと思います。文も僕が読みにくいだけであらためて見ると美しい文なのかとも思いました。(2009.04.13)

 

文体について

 

樋口一葉の小説は地の文は文語体、会話は口語体で書かれた雅俗折衷体で書かれており、一見とっつきにくい。一文は長いし、会話文を「」で記していないことも拍車をかけている。

 

 

でも句点をあまり使わずに、読点ばかりで書き進められた文章には独特のリズムがあり慣れさえすれば気分よく読んでいける。

 

 

しかしなかなか慣れというのはやっかいだ。「たけくらべ」を訳した川上未映子さんでも読んでいくのは大変だったらしい。プロの小説家の正確性と個性を求められる翻訳と、一般の読者の読書ではだいぶ違うけれど、雰囲気を感じ取るくらいのことは必要になってくる。

 

寂しいような哀しいような雰囲気

 

何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば爲る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商賣がらを嫌ふかと一ト口に言はれて仕舞しまう、ゑゝ何うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう、人情しらず義理しらずか其樣な事も思ふまい、思ふたとて何うなる物ぞ、此樣な身で此樣な業體げふていで、此樣な宿世すくせで、何うしたからとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦勞する丈間違ひであろ

 

するだけのことをしなければ、死んでも死にきれない。情けないと言っても、誰も哀れに思ってくれる人はあるはずもない。もうどうにでもなれ。考えてみても、どうなるかなんてわからないのだ。こんな人生で、どうしたって人並みではないのだから、人並みのことを考えて苦労するだけ間違いだろう。

 

 

大まかな意味だけとってみるとこうなる。けっこうネガティブで投げやりだ。でもこの内容は現代にも通じる。明治の人たちも樋口一葉の小説を読んで、「わかる」「そうだよね」と思っていたのかと想像するとなんだか可笑しい。(2017.11.29)