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“文学少女”と死にたがりの道化 /野村美月

・形式

 小説、ライトノベル、文学、高校生

 


・あらすじ

 天野遠子・高3、文芸部部長。自称“文学少女”。彼女は、実は物語を食べる妖怪だ。水を飲みパンを食べる代わりに、本のページを引きちぎってむしゃむしゃ食べる。でもいちばんの好物は、肉筆で書かれた物語で、彼女の後輩・井上心葉は、彼女に振り回され、「おやつ」を書かされる毎日を送っていた。そんなある日、文芸部に持ち込まれた恋の相談が、思わぬ事件へと繋がって……。野村美月・新味、ビター&ミステリアス・学園コメディ、シリーズ第1弾!


「どうかあたしの恋を叶えてください!」何故か文芸部に持ち込まれた依頼。それは、単なる恋文の代筆のはずだったが…。物語を食べちゃうくらい深く愛している“文学少女”天野遠子と、平穏と平凡を愛する、今はただの男子高校生、井上心葉。ふたりの前に紡ぎ出されたのは、人間の心が分からない、孤独な“お化け”の嘆きと絶望の物語だった―。野村美月が贈る新味、口溶け軽めでちょっぴりビターな、ミステリアス学園コメディ、開幕。

 


・収録話数

 


・初出

 


・刊行情報

“文学少女”と死にたがりの道化(ファミ通文庫)

2006年4月28日

 


・読了日

 


・読了媒体

 “文学少女”と死にたがりの道化(ファミ通文庫)

 


・感想メモ(※内容についての記述有り)

まず、最初に注目したいのが、タイトルに「死にたがり」という言葉が含まれているということです。「どうかあたしの恋を叶えてください!」という少女のことを表していると思われます。

 


この作品は太宰治の『人間失格』を題材として書かれたもので、本編の場面が転換されるにしたがって、『人間失格』を模した文章が挿入され、作品を形成しています。

 

『人間失格』だけでない類似性


挿入された文章の最初が、「恥の多い人生を送ってきました。」という文で始まります。実はこの文から始まる文章は、本編の前に挿入されており、そうとうに重要な引用及び模写であったことが分かります。

 


作中に実際に、『人間失格』は登場しますし、この作品の土台になっていることは揺るぎ無い事実です。

 


しかし、この作品の舞台の十年前、今作でいわば『人間失格』の主人公大庭葉蔵の役を担っているのは、高校一年生の竹田千愛です。彼女は図書館の書庫で片岡愁二の遺書を見つけたことで、自分と似ている人間を見つけたことに衝撃をうけます。そして彼が自殺したことを知り、自らもそれを模倣し、遺書ともとれる手記を『人間失格』に挟み、屋上からの飛び降りを決意します。

 


しかし、この片岡愁二の人間関係には興味深い特徴があります。彼には学生時代城島咲子という女性と付き合っていました。しかし、それは友人の添田康之が城島咲子を好きだと知っていた上での行為でした。

 


これは、『人間失格』というよりも別の作品に類似しています。

 

三角関係と夏目漱石


漱石は、自身初の新聞小説である『虞美人草』では、藤尾を挟んで小野と宗近が三角形をつくっています。『三四郎』では美禰子と大学一年生の三四郎、大学で研究生活をおくっている野々宮が三角形をつくります。藤尾、美禰子は結婚を考える年齢なので、この三角形は現実的なものなのでしょう。さらに『それから』では三千代と、その夫平岡、さらに三千代を想う代助が三角形をつくり、『行人』では直と、その夫一郎、そして一郎の弟である二郎が三角形をつくります。

 


そしてその後に生まれるのが『こゝろ』です。漱石の代表作としても語られることの多い作品です。そしてここで、私(先生)と静(お嬢さん、奥さん)とKの三角関係が生まれます。


私(先生)と静(お嬢さん、奥さん)とKという三角形と、本作の片岡愁二と城島咲子、添田康之の三角形には共通点があります。


「彼女を好きになったのは、おれのほうが先だったんだ。なのに、おまえはおれの気持ちを知っていながら、彼女を誘惑して自分に惚れさせて、つきあいはじめたんだ。」              
            

 

『こゝろ』では私(先生)はKから先にお嬢さんへの想いを聞かされておきながら、先に奥さんに自分の思いを告げて、お嬢さんと結婚する段取りを整えてしまいます。本作では、片岡が添田の気持ちを知っていながら咲子と付き合います。


つまり
私(先生)=片岡
K=添田
お嬢さん=咲子 という図式になります。

 


『こゝろ』で私とお嬢さんの結婚を知ったKは自殺してしまいます。そしてその後、先生も自ら命を絶ちます。

 


しかし、本作ではそうではありません。片岡は添田に対して、自分が咲子と付き合っているんだということを強調します。


「あの日、おまえは部の用事で遅くなると言って、おれに彼女を送らせたんじゃないか。なんの警戒心もない、いつもどおりの笑顔で、『ぼくの恋人を頼むよ』ってな。(引用者中略)おれに向かってしゃあしゃあと『つきあってくれって、目に涙をためて頼むんだから仕方ないじゃないか』なんて言ったんだ。」


これは、『こゝろ』でもありました。先生がKに向かって「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と以前自分に向けられた言葉を、言い返す場面です。

 


違うのはその後、添田は咲子を送る途中で、好きだということをうち明けたことです。

 


既に、付き合っている(結婚している)男性がいるのに告白するという行為、これは、『それから』でみられたシーンです。しかし、このときは三千代は代助をうけいれ、夫平岡と離婚することを決意します。

 


「僕の存在には貴方が必要だ。何うしても必要だ。僕は夫丈の事を貴方に話したい為にわざ/\貴方を呼んだのです」と言う代助に三千代は「仕様がない。覚悟を極めませう」と言って、代助と共に暮らしていくことを決意しますが、本作では、咲子はそれを拒否します。そしてそのとき道路に飛び出し、死んでしまいます。2人の関係が作品で全然違うことを考えたとしてもこの共通点は目に付きます。


もし『それから』で三千代が2人の男性の中で揺れた場合、どちらとも決められなかった場合は、死ぬつもりであっただろうと。そして『こゝろ』でKが我先にとお嬢さんに告白しても、恋は実らなかっただろうと。これは奥さんの「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」という台詞からも見て取れます。

 

『人間失格』と『こゝろ』と『それから』


それ以前に前提になっていることが、片岡が(=先生の人)『人間失格』を愛読書としていることです。つまりこの作品で語られる竹田千愛が影響を受ける人物としての片岡は、いわば『人間失格』の主人公大庭葉蔵のようでありながら、『こゝろ』のような三角関係を築いており、そして先生と同じ運命をたどり、なおかつ出し抜いたと思った友達は『それから』のような告白をしています。日本文学も驚きの、とんでもない男です。影響をうけるなというほうが無理かとも思えるほどの、数奇な人生を送っています。

 


片岡は上のような人ですから物語の本筋において、竹田さんにおいて彼=大庭葉蔵のような存在になっています。

 


しかし上の三角形では私(先生)=片岡という図式が成り立っています。つまり

私(先生)=片岡
片岡=大庭葉蔵
   ↓
私(先生)=大庭葉蔵

 


これはどうでしょうか…

 

 

この本は、著者があとがきでも言っているように、『人間失格』を題材としています。しかし僕は漱石の小説の特徴を思い浮かべてしまったのでした。(2009.01.27)