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蝉しぐれ /藤沢周平

・形式

小説、長篇、時代劇、恋愛

 


・あらすじ

清流とゆたかな木立にかこまれた城下組屋敷。普請組跡とり牧文四郎は剣の修業に余念ない。淡い恋、友情、そして非運と忍苦。苛烈な運命に翻弄されつつ成長してゆく少年藩士の姿を、精気溢れる文章で描きだす待望久しい長篇傑作!

 


・収録話数

 


・初出

山形新聞 夕刊、1986年7月9日~1987年4月13日

 


・刊行情報

蝉しぐれ(文藝春秋)

1988年5月1日

 

蝉しぐれ(文春文庫)

1991年7月

 

愛蔵版 蝉しぐれ(文藝春秋)

2016年12月14日

 

新装版 蝉しぐれ 上下(文春文庫)

2017年1月6日

 


・読了日

2008年6月3日

 


・読了媒体

蝉しぐれ(文春文庫)

 


・感想メモ

※ネタバレ有一部反転。

 

子どもから大人になるということは、どういうことであるかと考えると、勿論そこには身長が伸びたり男子なら声変わりをするという身体的な成長と、子どもとは思われたくないといったような精神的なそれとがある。親から、早く寝なさい、早く宿題を済ませてしまいなさい、という注意を受けなくなり、大幅に自由が認められた気にもなるのだが、その頃合いになると、もっと小さいときに思った、自分がもっと大きくなったらたとえ後がどうなっても自分のしたいようにだけする、というまるで自分が世界の中心に存在するような自分勝手な願望を叶えられなくなってしまう。

 


子どもから大人になるということは、叶えることができる希望も、できない希望と同様に諦めてしまうことだと思う。様々な夢を思い描き将来に思いを馳せる子ども時代から、その夢の終着点の一つである大人になるまでには、自分の欠点ばかりが目についてしまう思春期を経て行かねばならない。そこで大人は諦めてしまったのだ。何かもっともらしい理由を付けて。

 


けれど、この叶えられるもの、できないものの区別は難しい。長い期間を要するものであるかも知れず、その問題に対し尽力する前では、当然ながら結果が分からないからである。しかし大人達は、たとえ多大なリスクを払ってでも目の前の問題に全力をつくすべきだということは、本能的に知っているはずだ。リスクを恐れていては、良い結果を求めることはできないという正論も知っている。なのに何も行わずただ現状を維持するというのはただ無気力を産むだけである。子どもがそれを感じ、その後の行動をどうとるかということは言わずもがなというものであろう。

 


本作で描かれる十五歳以後の主人公、牧文四郎はまさに子どもから大人へ変わるその真っ直中にいる。作品の始めで文四郎は、文武両道に特に武である剣術の稽古に励み、隣家の娘であるふくに淡い恋心を抱き、先のことについて親友である小和田逸平や島崎与之助と語り合う。元服を間近に予定しつつも、どこにでもいるような平凡な少年である彼が、剣術を極め、自分を高めていく中で、何を経験したのかと問われればそれは「諦めること」に他ならなかった。尊敬する父助左右衛門、恋い慕うふく、その両方をどうしようもない力の大きな他意によって奪われてしまったのだ。

 


そこにあったのは、やりきれなさでも、苛立ちでもなかった。ただ諦め、悔しがり妥協する一連の行為だけであった。その結果残ったのは後悔だけである。父との対面の際、父を安心させるような、または感謝するような言葉をかけてやれなかったとの思い、江戸へ行くふくが会いに来たときには、自分の私用のために居合わせることもできなかった。それらは、将来を変えたかもしれなかったのに。

 


その後、文四郎は元服し一家の主になり妻を娶り子を授かる。順風満帆とは言えないまでも、「普通」の生活を送る。そこには自分が行った行いに対する後悔はない。

 


たとえ、結果が悪くなってしまってもそれが人生を狂わせるほど悪いものでなければ、行為をしなかったことに対する後悔をしなくて済んだと喜べばいいのではないだろうか?ふとそう思わされてしまう。(2008.06.04)