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正義のミカタ I’m a loser /本多孝好

・形式

小説、長篇

 


・あらすじ

僕、蓮見亮太18歳。高校時代まで筋金入りのいじめられっ子。一念発起して大学を受験し、やっと通称スカ大に合格。晴れてキャンパスライフを満喫できるはずが、いじめの主犯まで入学していた。ひょんなことから「正義の味方研究部」に入部。僕は、元いじめられっ子のプライドに賭けて、事件に関わっていく。かっこ悪くたっていい、自分らしく生きたい。そう願う、すべての人に贈る傑作青春小説。

 


・収録話数

 


・初出

書き下ろし

 


・刊行情報

正義のミカタ I’m a loser(双葉社)

2007年5月

 

正義のミカタ(集英社文庫)

2010年6月25日

 


・読了日

2008年5月21日

 


・読了媒体

正義のミカタ I’m a loser(双葉社)

 


・感想メモ

※ネタバレ有一部反転。

 

正義とは?辞書によると「人の道にかなっていて正しいこと」とある。犯罪を犯さないこと。犯罪者を更生させること。モラルに反する行為を注意すること。答えは無数にある。

 


本作の主人公、蓮見亮太はとにかく駄目な大学一年生である。高校時代いじめられていたらしい彼は救いようがないほどのマイナス思考の持ち主だ。大学デビューに全力を注ぎ、経験のないサークルを掛け持ちしようとしたりと努力を見せるのだが、高校時代のいじめっ子と再会してしまった途端に、退学を考え出してしまう。そんな彼が再びいじめられてるところを、桐生友一というクラスメートが助け、亮太が「正義の味方研究部」に入部する、そんなところから物語は紡ぎ出されていく。

 


紆余曲折あって、終盤亮太は「正義の味方研究部」からの脱退を告げることになるが、それはなぜかという読者の問いに対して筆者は「考え方の相違」を理由に挙げている。部の唱える正義と亮太の唱える正義、そこにどんな相違があったかと考えると、力の存在の有無の差であろう。普段は話し合いで穏便に事を済ませる部も、相手が話を聞かない者、自分が悪意をはたらいたと認めない者に対しては武闘派の二人が力で解決に当たるのだが、亮太はそのことに疑問をもったのではないか。時には力を用いても事態の解決に当たる、現実社会で言えばアメリカとも喩えられる「正義の味方研究部」、最後には自分の持つわずかな力をも使おうとしなかった、さながらガンディーのような亮太、そんな構図が見て取れる。

 


もう一つの理由は、「正義の味方研究部」が正義を掲げるあまりに、正義を失ってしまったのではないかという点だ。正義を執行するときに生じる奢りや高ぶりを亮太は肯定できなかった。本末転倒とも言えるかもしれないその部位を彼は否定したのだ。最初に言った様々な正義の中で部の言う正義は、犯罪者を更生させることであり、亮太の言う正義は、モラルに反する行為を注意することである。もちろんどちらが正しくどちらが正しくないと言うことはできない。

 


「不公平だ」これは作中世界の共通認識らしい。上中下の三段階に分けられたこの社会では人々は、日々上の階層に行けるように努力しているらしい。これは何も大袈裟なことではない。テストで70点を採った者は次に80点を採るように努力する。係長になった者は課長になろうとする。そういうことだ。格差問題は避けて通ることのできない社会問題ではあるが、でもそんなに不公平なものだろうか?確かに作中の通り、失敗の理由を格差に求めてみても、努力が足りなかっただけだと一蹴されてしまう。その理不尽さを憂いているのはわかるのだが、この言い分を否定できなかった主人公の肯定しなかった理由が「なんとなく」では弱い。と言うか釈然としない。

 


本作の題は、「正義の味方」か「正義の見方」か、それとも「正義の美方」のなのか。本作は正直、気に入らない。それは「正義の見方」によるものか。(2008.05.23)