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ゴールデンスランバー /伊坂幸太郎

 

・形式

小説、長篇

 


・あらすじ

衆人環視の中、首相が爆殺された。そして犯人は俺だと報道されている。なぜだ? 何が起こっているんだ? 俺はやっていない――。首相暗殺の濡れ衣をきせられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。暴力も辞さぬ追手集団からの、孤独な必死の逃走。行く手に見え隠れする謎の人物達。運命の鍵を握る古い記憶の断片とビートルズのメロディ。スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編。

 

 

あらすじ詳細(反転)

 

首相公選制が存在する現代。仙台市では金田首相の凱旋パレードが盛大に行われていた。
元宅配業の青柳雅春は数年前に暴漢に襲われていたアイドル・凛香を仕事中偶然にも助けたことで一躍時の人となり、地元では顔を知らない人がいない有名人。
そんな青柳は数年ぶりに大学時代の親友・森田森吾に呼び出される。森田の様子がおかしいことを訝しむ青柳に、森田は「お前、オズワルドにされるぞ」と告げる。
なんのことか分からない青柳だったが、その直後に首相は暗殺され、警官が2人のところにやってくる。「お前は逃げろ」と促された青柳はその場を逃げ出し車を後にするが、森田は自動車ごと爆殺されてしまう。
その頃、街中では早くも青柳の顔写真や映像がくり返し流され、首相暗殺犯として大々的に報道されていた。青柳は、警察やマスコミを意のままに操作出来る人間が、自分を犯人に仕立て上げようとしていることを思い知らされる。
青柳は様々な人々の力を借りて、逃走につぐ逃走を重ねて、逃げ延びる。

 


・収録話数

全五部

 

 

・初出

書き下ろし

 

 

・受賞歴、ランキング

第5回本屋大賞

 

 

第21回山本周五郎賞(小説新潮、2008年7月号)

 

浅田次郎△

「堂々一千枚を費して、ひたすらRUNAWAY、ひたすらESCAPE。文学には不可欠の要素であると千年も信じ続けられてきた、主題性も思想も哲学も、くそくらえである。開いた口も塞がらず読み進むうち、いつしか私も主人公と一緒に逃げ回っていた。包み隠さず言うと、私は過去四年にわたり氏の作品に苦言を呈し続けてきたのであるが、もしや氏は千年の日本文学に苦言を呈しているのではあるまいかと思えば、議論はもはやこれまでである。」


北村薫◎

「全てが、間違いようのない、伊坂的パステルで描かれている。大きく構え、細部への配慮も持っている話なのに、小説的リアリティを不思議にはずしてくる。典型的な成長小説である。成長してどうなったかが、よく分からない成長小説である。その先を考えるのは、この作品の場合、最中の皮の外に餡を探すようなことなのだ。実は、そこにこそ伊坂作品らしさがあり、個性がある。特異な作家に、普通の物差しは当てられない。」


小池真理子◎

「作者が確実に、そして、遥かに、ハードルを高く設定し、スキルを磨いてみせたことに目を見張った。これまでの、面白く読めはするが、のどかな青春小説の枠を超えることができずにいたものが、一挙に殻を破って大人の読物になっている、という印象で、私は高く評価した。現代における、漠然とした友情やら愛やら信頼やらの感覚を正面から直球で描いて、かつ、易きに流されず、これほど小説的なすごみを見せることができるのは、やはり作者の揺るぎのない才能と言うべきだろう。」


重松清◎

「過去三回は愛読書を「受賞作」として推すことの難しさを痛感しどおしだったが、今回は迷いなく、積極的に推輓させていただいた。〈彼らが望むのは、真相を知ることではない。ただ、このことを万人が納得する形で、収めることだけを考えている〉――作中のこの言葉は、伊坂さんの「世界」の成り立ち方にも通底するような気がしてならない。〈真相を知ること〉は叶わない。大がかりにケムに巻かれてしまうのだ。それでいいじゃないか、と作家が笑う声を、僕は勝手に聞き取っている。そこに伊坂さんを推した理由がある。」


篠田節子○

「何か得体のしれない強大な悪意によって、理由もなく標的にされた主人公がひたすら逃走する不条理小説、と私は読んだ。完璧である。個人的には、この内容ならもっと先鋭的で抽象的な作りが好みだが、自分の小説的趣味を振りかざして、それなりの完成度を示した作品の受賞を妨げる理由はない。」

 

 

このミステリーがすごい!2009年版国内編1位

 


・読了日

不明(2007年11月発売直後か)

 


・読了媒体

ゴールデンスランバー(新潮社)

 


・感想メモ

※以下ネタバレ有のため一部反転。

 

The Beatlesの『GoldenSlumber』は本作中で取り上げられた一曲だ。「黄金のまどろみ」と訳されるが、伊坂がなぜ本作の中でこの一曲を取り上げ、題名にまでしたのか。村上春樹を読んでいなかったのに散々村上春樹の影響を指摘されて、ならいっそのこと『ノルウェイの森』みたいにビートルズの曲から題名付けてやれなんて思ってはいないだろうし。本作は、首相暗殺の疑いをかけられた男が追っ手から逃げる数日間及び、前後数十年の関係者の人生を描いたものだが、その到底穏やかとは言えない内容とこの曲は一見いささか不適合であるようにさえ思える。 

 

genius.com

 


しかし歌詞を読むと、とり上げた理由が分かったような気がした。首相暗殺の疑いをかけられた男が生きて行くには、海外へと逃亡してしまうか、地下に潜るか、整形手術等を駆使して別人になって生活するしかないだろう。そうなれば両親はもちろん交友関係にあった人物とは会えなくなってしまうことは明白だ。故郷を離れ、職も捨て、全く知らない土地で暮らして行かなければならない。電話やメールでの連絡も取ることができず、作中では男を捕まえるという名目で傍受が行われていた、そうなれば二度とつながりを持つことがなくなってしまう。


伊坂はそんな「別れることの悲しさ」を描きたかったのではないか?携帯電話やパソコンが普及した昨今、転校や引っ越しで離ればなれになったとしてもメールや電話で連絡をとることは容易だ。そんな現代だからこその別れの悲しさなのだ。
 

そう考えると、「よくできました止まり」だった仲の樋口晴子、車を爆破された森田森吾、その他の主人公を助けようと或いは逃がそうと行動した者たちが愛おしげに思えてくる。読者はもちろん小説の登場人物にはなれないし、事実を共有することもできない。ですが事件の当事者であれば、無事に逃げおおせることは即二度と会うことが叶わないものだと理解することになるだろう。だからこそ、そのために全力を尽くせる彼らの存在が愛おしげにさえ思えるのだ。それは「だと、思った。」という一言で昇華されている。


伊坂が本作で描きたかったこと、それは一人の男の逃亡劇やプライバシー保護の重要性も含まれるのだろうが、『魔王』のあとがきで「政治や憲法について描きたかったのではない」と語った伊坂なら別れという、人が人生の中で幾度となく経験する「悲しさ」なのではないだろうか。そう考えるならば、本作の登場人物がことごとく死んでしまうことにも説明がつく。主人公がせめて最後に自分の存在を恩顧の人々に伝えたのは、そんな絶対とも言える人間社会の必然事項に対するせめてもの抵抗だったのか。


事件後、青柳雅春は何を考えていたのか?樋口晴子と偶然会っても迷惑をかけたくないがために、自分だと悟られないように懸命に振る舞っていた彼は、まだ青柳雅春という一人の人間を消したくなかったのかもしれない。


読み終えて、作家が変わってしまったような、成長してしまったような、一種の淋しさを覚えた。『重力ピエロ』『アヒルと鴨のコインロッカー』『チルドレン』で感じた、楽しさや面白い小説を読めた嬉しさがなかったように思ったからだ。それは山本賞選評での「大人の読物」にも通じる。しかし、日々を重ねるにつれ、実はとても面白いのではないかと思うようになった。上記三冊のような伊坂幸太郎の雰囲気や、破天荒な登場人物、流れる楽しい会話、にまた巡り会いたいのだが、伊坂が『死神の精度』や『終末のフール』を「書きたかったもの」と言っている現状ではそれは望めないのかもしれない。(2008.05.18)