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『言の葉の庭』を観た感想、視点の変化を含めた第一感

劇場アニメーション 『言の葉の庭』 (サウンドトラックCD付) [Blu-ray]

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公開当初から観よう観ようと思っていた『言の葉の庭』だが機会を設けることができずに公開開始から二年以上の時間が流れてしまった。しかし今回、GYAO!で期間限定で無料公開されていたためようやく観ることができた。昨日一回観て、それから一日が経ち一部のシーンを見返しただけだが、ぼんやりながらも初めて見た時に思ったことを書き残しておけば今後見返した時の一助にもなるかもしれない、と思いいくつか気になったところをまとめることにした。

 

 

※以下ネタバレあり

 

 

1、先入観


 一度見終わった時点でまず思ったのは、
・なんだか主人公がかわいそうだ
・漱石の『行人』がやたら印象的に使われているという風に感じた
という二点だった。

 本編を通してヒロインは、多くの本を読んでいる。それは彼女の職業に関係していることでもあるのだが、部屋の中の本棚のアップがあったりとそれは強調されている。しかし彼女が具体的にどんな本を読んでいるのかが分かるシーンは少ない。前半で新潮文庫版の漱石の『行人』が示されるだけで他にはない。*1このシーンを見て僕は、ここでヒロインが読んでいるのが、『三四郎』、『それから』、『門』からなる前期三部作のいずれでもなく『行人』であることが気になった。気にすぎとか深読みだとか言われればそれまでだけれど、僕は前期三部作のどれかであるほうがいいのではないかと思ったのだ。
 そしてそれは『言の葉の庭』を見終わった時に感じた違和感とも関係していた。つまり僕はこの映画を恋愛映画だと思って見始めて、その先入観を何ら疑うことなく最後まで持ち続けたまま見終わったのである。そして僕は恋愛映画だと思っていたから、マンションの階段で二人が泣きながら抱き合っているシーンを、ふーんと少し冷めたような目で見さえした。見終わった時に僕はどこか違和感を覚えながらも、まぁ映像は綺麗だし話もまとまっているしいい映画なんじゃないかと考えた。
 しかし見終わった時に感じた違和感はどんどん大きくなっていたし、なぜか時間が経つごとにこの映画はとても良い映画なんじゃないかと思うようになった。そしてそれは映画の公式サイトでキャッチコピーを見返した時に決定的なものになった。本作は「"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり」なのだ。
 つまりこの映画は決して、いわゆる「恋愛映画」ではないということだ。二人は「今が一番幸せかもしれない」と考え、主人公は「俺雪野さんが好きなんだと思う」と口にする。ヒロインは息をのみ、頬を赤らめはするもののその後は先生を強調し取り合わない。その後ヒロインは部屋を出て行った主人公を追いかけ泣きながら抱き合うが、そのときもヒロインは裸足であり、涙ながらに語るのは愛の告白ではなく「毎日怖かったがあそこであなたに救われた」という内容である。だったらその涙は愛情によるものではなく共感や感謝によるもののはずである。主人公が語るようにヒロインにとって主人公は「ただのガキ」にすぎない。*2だからこそヒロインの読んでいる本は前期三部作ではなく『行人』なのだと思った。


2、敗北?


 村上春樹において、雨のヒロインといえば『国境の南、太陽の西』の島本さんがまず浮かぶが、「二十七歳の私は十五歳の頃の私より少しも賢くない」と語るヒロインは『ノルウェイの森』の直子的である。直子が少し人間との距離感を上手くつかむことができなかったようにヒロインも人間トラブルから味覚障害を患い、直子が一緒に暮らそうと言っていたワタナベ君を何とも思っていなかったようにヒロインも主人公に恋愛感情を抱くことはない。終盤雨の中、ヒロインの部屋で二人が料理をする場面で、僕は直子の誕生日の場面を思い出した。*3これは『秒速5センチメートル』の「コスモナウト」の二人のようでもある。
 ならば主人公がかわいそうだと感じたのは彼の恋愛がうまくいかなかったからということもあるけれどそれだけではない。主人公はヒロインに振られた後も彼女のことを思い続けいつか会いに行こうと思っているのに対して、ヒロインから送られてくる手紙のうち画面に映し出される文面の末尾はいかにも他人行儀である。しかしもちろん『ノルウェイの森』の直子と本作のヒロインとでは結末が大きく異なっている。ワタナベ君と直子の関係は決定的なものであるけれど、本作の二人はそうではない。僕が最初に感じた違和感は、恋愛映画であるとの先入観とそれらの差異によってもたらされたのだ。
 大江の『叫び声』のような敗北の物語でもあり、村上春樹の『ノルウェイの森』のような一方向の恋愛の物語でもある。しかし、周りの大人たちの視線*4や自分自身の不安にもめげず、主人公は靴を完成させヒロインと手紙をやり取りしながら「いつかもっと、もっと遠くまで歩けるようになったら会いに行こう」と決意する。そこには新海誠のテーマがあり、それは非常に好ましいものだ。


3、見返すときに注意することのメモ、第一感のまとめ


 ・本編中に『行人』が登場しているが、それはいわゆる「現代人の苦悩」をあらわした小説として登場しただけであるのかもしれないし、そもそもただ製作者が好きとかの理由で使ったのかもしれないのだから、前期三部作を想起するのは考えすぎであるかもしれないということ。
 ・新海誠は村上春樹の影響を受けたと公言し『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』について言及してもいるが、村上春樹や『ノルウェイの森』のイメージを持ちすぎたまま『言の葉の庭』を見ないようにすること。
 ・ヒロインは二十七歳の設定だが花澤香菜の声は若く、二十歳か二十二歳くらいに感じた。(役と設定は関係ないことだけれど)でも主人公が十五歳ならあまり気にならないだろうと思ったということ。
 ・登場人物のようだと言われている雨に注意を払うこと。
 ・恋愛小説的な物語ではなく、相手に主人公とヒロインが互いに共感する物語だと思ったということ。
 ・ヒロインが泣きながら主人公に抱きついたのは、共感だとか感謝、もしくは主人公に対して申し訳なく思ったからであると今は考えていること。
 ・最初のようにまぁ良い映画なんじゃないとは思っておらず、優れた映画だと思っていること。
 ・それでもやはり主人公はかわいそうな役回りだなと思っていること。
 ・しかし主人公についてはリアリティの問題になってしまうので議論はそれまでになってしまうだろうということ。

 


 まとまりのない文章になってしまったし思ったより時間がかかったわりにはしっかりと整理もできていないけれども、前にも書いた通りきっと時間をおいて見返すときの一助にはなると思う。最初のまぁ良い映画なんじゃないみたいな漠然とした感想のままこの映画を通り過ぎることがなくて良かったというのが率直なところ。(2015.10.11)

 

 

 映画を観た段階では小説版は未読だったが、その後小説版にも目を通した。小説版を読んで強く感じたのは、とにかくメインの二人が、たとえどれだけ友人や知人に囲まれていたとしても孤独、そういうことだった。

『君の名は。』を観て、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『国境の南、太陽の西』を思い起こし、名前を覚えていない女の子との出会い、再会に運命を感じる点、そういったもので村上春樹と新海誠を関連付ける論考は今後増えていくだろうと思われる。

とにかく新宿の街並み、とくに汚い裏路地やごみ箱を描かせたら右に出るものはいない。雨はとにかく映えている。自然は?(2017.08.23)

 

*1:最終盤駅のホームでもヒロインは本を読んでいる。裏表紙側から本が描かれており村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社文庫版)かなとも思ったがはっきりしない。

*2:「はっきりと分かっていることは二つだけ、あの人にとって十五の俺はただのガキだということ、そして靴を作ることだけが俺を違う場所に連れて行ってくれるはずだということ」という主人公の語りがある。

*3:美しい新宿御苑の中の二人を見て、『ノルウェイの森』の映画でワタナベ君と直子がずっと歩いていたシーンを思い浮かべた。

*4:主人公の兄も「十代の頃の夢なんて…」と口にしている。